行きますか?

かねてより計画をしておりました、台湾原住民との交流ツアーですが、昨日の薬膳料理教室でもご参加の意向をお聞きし、私もそろそろ準備に入ろうかと考えています。本当はもっと早く皆様をお誘いしたかったのですが、ご存じの通りにコロナ渦で各国は厳しい入国制限を行い、コロナが落ち着いてからでも原油の高騰、そして航空会社の人手不足による減便はなお続いており、航空券代が下がらなかった為、先延ばしになっておりました。

私が台湾へお誘いする一番の理由は、台湾原住民に対する負い目があるからなのです。台湾原住民と言うのは17世紀以前から台湾に住んでいた土着の民族であり、後から入ってきた中国人とは体型も性格も文化もすべてが異なっております。今は原住民と言う言葉は日本では(原始、原人)などの意味も含む為、先住民と呼ぶのが正しいそうですが、台湾でも原住民と言っておりますので私は原住民と書きます。

日本が台湾を統治するまで台湾原住民は統一された国家ではなく、各部族ごとに分かれて暮らしており、言語も違っていたそうですが、日本が統治してからは日本語が原住民共通の言語になりました。それまでの彼等は主に山岳地域に住み、体には刺青を入れて他部族との戦いを繰り返していたのです。【出草】と呼ばれる風習も有名で、違う部族の首を取る事で勇者の仲間入りをするという事も頻繁にあったそうです。

おいおい!そんな怖いところ誘うつもりなの〜と言われそうですが、今では彼らも台湾人として現代の教育を受けており、遠い昔の話です。日本統治時代の原住民と日本人の争いを映画化した【セデック、バレ】は一見に値する映画です

台湾の国民的映画『セデック・バレ』〜台湾の原住民族と魏徳聖監督の三部作 | 台湾ストーリー (taiwan-story.jp)

日本統治時代には争いもありましたが、その後移住した日本人と原住民は共存し、特に私が親しい亜美族とは性格も合ったようで、亜美族が多く住む台湾花蓮は日本人半分、亜美族を中心とする原住民半分で都市形成がなされた経緯があります。その時代の日本の残したものは大事にされており、お寺、林業基地、精糖工場跡、神社、小学校跡なども残っています。私が台湾原住民に対して負い目を感じるのは、日本が太平洋戦争で敗れたために、日本のために志願して戦ってくれた台湾原住民による(高砂義勇隊)への戦後補償をしていないからなのです。詳しくは

高砂義勇隊について|日本軍として戦った台湾の人々|kobo-taro (note.com)

台湾人元日本兵の戦後補償問題――積み残された人々の願いに真の「解決」を | nippon.com

言うまでもなく今の台湾は親日国です。台北の街中や花蓮でも多くの人が日本語を理解してくれます。しかし歴史には表裏があります。中国との共栄共存を望む台湾人も、日本の戦後補償に不満を持つ原住民もいるのです。私に出来ることは、その昔、台湾原住民が高砂義勇隊として我々日本人をおおいに助けてくれた。その事を風化させて記憶から消してほしくないからです。私は台湾に行くと、スクーターを借りて山沿いの道を散策したりします。原住民たちの食堂があちこちにあるのでそこで食事をしたり、酒を飲んだりもしますが、みんなびっくりして酒を注いだりしてくれます。

先に私が視察に行って、観光コースや宿泊施設などを確認してきますが、台北桃園空港で集合し、初日は台北で一泊し、夜市に行った後薬膳粥などを食べ、二日目に花蓮に移動。途中千と千尋の神隠しの舞台ともいわれる九份に立ち寄り、花蓮到着後は原住民料理を食べたり、カラオケなどを考えています。大丈夫です!彼らは穏やかですから。逆に私のほうが気性が荒いので一度原住民代表をぶっ飛ばしたこともありましたね(笑)

その他オプションとして原住民料理の講習会や、9割以上の確率でクジラが見られるホエールズウォッチング、タロコ渓谷ツアー、亜美族ダンスショーに海老釣りまで、皆さんが楽しんでもらえるように考えたいと思っています。今のところ11月か12月にお誘いできればと考えます。この企画には時期祭英文と呼ばれる有力国会議員さんも応援のお言葉を頂いています。

台湾待ち合わせがご不安の方は、関空であればご一緒しますが、私は旅行代理店ではなくお教えしますからなるべくご自分で航空券の手配などはお願いしますね。台湾滞在中の事は亜美族代表がしっかり面倒を見てくれます。