先週、私の叔父である大谷大学名誉教授の河内昭園先生がお亡くなりになりました。87歳ですから男としては長い方でしょう。名誉教授!なんて言いますと取っつきにくい難しい人を想定してしまいますが、この先生は実にユーモラスで、表情豊かでした。
管理人さん、すごい親戚がいるのですね?
いやいや、私がアウトローなだけで、私の親戚は医者、弁護士、会計士などが多く私一人だけが異質なのです。笑
私は時々、この先生の話を聞きに行っておりました。先生は古代中国文学の権威であり、所蔵書を中国の大学に寄付されたことがあり中国の新聞やテレビで大きく報じられたこともありました。私が興味を持っていたのは、先生がライフワークとして研究されていた【日本人はどこから来たのか?】についてです。すでに私たちが小学校、中学校で習った日本土着の縄文人が進化して弥生時代になった。という説は否定され、主に南方系、北方系の堀の深い顔立ちの縄文人が、狩猟を中心に暮らしていたところに、中国や、朝鮮の大陸の渡来人がやってきて、鉄の生産、稲作、養蚕などの技術を持ち込み、鉄を持たない縄文人は次第に北海道と九州に移動した。というのが定説になってます。
ある日、私は先生に聞きました。”古代日本人が混血によって今の日本人を作り出した。という事は理解しています。では大陸からやってきた渡来人というのは、強すぎて領土を広げるために我が国にやってきたのでしょうか?” 先生はニヤリと笑ってこう答えました。”今の時代でさえ小舟で大陸から日本海を超えてくることは簡単ではない。まして渡来人が国を捨て海を渡るという事は命がけであったはず。命を懸けてでも海を渡る理由は?” 私”地震とか洪水とかの災害でしょうか?” 先生”違いますね、他国、他部族との戦いに敗れて一か八かで逃げてきた人です”
むむぅ、すると我々に流れている血の一部は、戦争で負けて逃げてきた大陸の人なのか~
先生は続けます。”古代朝鮮も三国の時代がありました。日本の歴史では4世紀から7世紀あたりです。高句麗、新羅、百済という三国が朝鮮半島を支配し、戦っていましたがそれに並行してたくさんの小国があったのです。それらの小国が力の強い三国に攻められて命からがら逃げてきたのが朝鮮半島から来た渡来人です。”
おじさんの研究、仮説では朝鮮半島から逃げてきた小国の渡来人の一派は、今の福井県あたりに漂着し、そこから峠を越えて滋賀県の北部、琵琶湖の北に住みつたい形跡が多く残っている。それまでの日本になかった養蚕が始まり、鉄を作り、朝鮮半島の伝説である天女の羽衣伝説があり、朝鮮半島とゆかりが深い神社が多くある。おそらくはこの地に根を下ろして、琵琶湖から水路を使って京にも進出したのであろう。ちなみに天皇家も渡来人の血が流れています。というお話でした。
また徐福伝説で知られる古代中国からの渡来人は、福建省などの海に面した地域の人々ではなく、もっと内陸部の揚子江周辺の人とDNAが近いというお話もありました。
日本人は中国人や朝鮮人と違うと気分を害される人もおられるかもしれませんが、良いではないですか、我々日本人はいろんな民族が集まって混血した民族で。それが日本という独特な風土、非常に多い天地天災で日本人独特の文化を作ったのです。もう一度先生の話を聞きたかったな・・・・